コロナの影響もあって家でパートナーと一緒に過ごす時間が増え、価値観のズレが表面化、肥大化してきたという話がしばしば聞こえてきています。
「育ってきた環境が違うから〜(by セロリ)」、全くズレがない関係の方が少ないのではないかと思っています。
実はうちも最近ひとつありました。
前々からズレを感じていたことについて、これを機にいろいろと話して落としどころを見つけられて、「むしろ良かった!」と思っているので、そのことについて書いてみます。
私の小さなストレスと試行錯誤を言語化する試みのため、そして、それが何か少しでも参考になることがれば嬉しいなと思いながら。
- 大事にしたいことと、前々から分かってはいた「食事」のズレ
- お互いの食事についての理想
- ズレは認識していたが、表面化していなかった今まで
- 最近起こったこと
- 試行錯誤と、辿り着いた落としどころ
- 感想とまとめ
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大事にしたいことと、前々から分かってはいた「食事」のズレ
前提として、私達はお互いにやりたいことを大事にしたいと思っています。
私が相方の好きなところとして第一にあげているのは、「本能に忠実」なところ。
自分の好きなものに対して素直で、寝る間も惜しんでとことん時間をかけている一方、嫌なことも明確にわかっていて、それに対して無理をしない。しかも、好きなことの追求が仕事にも生きている。
少年のような素直な自由さだなと感じています。
「幸せのために大事なことが、本能でわかってるんだな、この人は」
と感じて尊敬の念を抱いており、見ている私も幸せな気持ちになることがたくさんあります。
そのため、ここは失ってほしくないし、私が壊したくないと思っている相方の価値観です。
そして相方は、その私が壊したくないと思っていることを「許容」と感じ、話し合いができることがよいと言ってくれます。また、私のやりたいことも尊重してくれます。
その点、すごく合っているんだと感じています。
また、相方に出逢う前に、「私がパートナーに求めていることってなんだろう?」と改めて考えて、思いつく限り言語化したことがあります。
27個の項目が出てきていたものの、書いたっきり忘れていたのですが、結婚してから見返すと、相方は、その27個のうち26個が当てはまっていることに気づきました。
当てはまっている数に感動したと同時に、1つのズレも改めて認識しました。
その合わなかった項目が「健康志向」。
それは、かなり初期の相方との週次定例でも話にあがっていて、「苦労がありそうだよね」と話していた「食事」についてのズレにも当てはまるものでした。
お互いの食事についての理想
私達のそれぞれの食事についての理想をまとめてみると、下記の通り、ズレがかなり大きいです。
相方の理想:好きなものを、好きなときに、好きなだけ
- ラーメン、揚げ物、肉、白米、塩辛いもの大好き
- 外食大好き。自分が美味しいと感じるものを食べたい
- お腹が空いたときが食べ始めるとき
- お腹がいっぱいになったときが食べ終わるとき
- 好きなものはこだわりを見つけて自分で料理して追求したり、食べ続けたりする
- できる限りお互いが楽な状態がベスト
- プロセスよりも結果重視
- 一緒に美味しいものを食べられればベター
そのため、料理については、私がやりたくてやっているならよいが、そうでないなら、時間をかけて「料理をしてくれた」というようなプロセスは特に必要ないと思っています。
これは、ややさみしく感じることもありますが、「料理をしてほしい」「料理ができる人であってほしい」みたいな余計な期待や理想がないという点で、非常にありがたくもあります。
また、相方の理想の方向性はいつもかなりはっきりしてるなーと感心するし、わかりやすくて助かります。
私の理想:健康なものを、健康な時間に、できればふたりで
- 野菜大好き
- 自分の食べるものの栄養をコントロールしたい
- 好奇心から、作れるなら新しい食材、レシピをどんどん試したい
- 食材を無駄にしたくない
(食べ物を捨てるのは嫌だし、基本残さないし、素材の栄養も無駄にしたくない) - 食卓でふたりで食べる雰囲気(温かさ)も楽しみたい
- 相方も健康でいてほしいので健康なものも食べてほしい
- 楽できればベター
お互いに何かを相手に強要するのは嫌なのに、これだけズレており、かつ、私の理想には相方の行動も入ってきてしまう状態でした。
ズレは認識していたが、表面化していなかった今まで
今までは、私が食事の理想よりも仕事を優先している状態だったために、自炊ができるのは土日しかありませんでした。
そして、土日は、自炊7割、外食3割くらいと、平日に自炊できない分、外食好きな相方とのバランス的には、土日の自炊比率は高め。
相方もひとりで外食するよりは、ふたりで外食できればと思ってはくれていて、私も時間がないときや料理が面倒だなと感じるときに、一緒に外食をしていました。
自炊をするときは「楽をしたい」という思いは同じで、かつ、相方も私の理想を理解してくれていたので、なるべく調理家電頼り(調理家電については、そこまで料理をしない相方もかなり調べてくれました)、私が料理をした日は、片付けは担当してくれる分担でした。
自炊をしたときに、相方が残すことはあったものの、自炊頻度も低かったので、相方も我慢しつつ食べてくれることもあったし、残したとしても、私も「まぁそんなこともあるか」と思い、そこまでストレスは感じていませんでした。
そのため、この状態でずっと回っていたのですが、生活の変化が生まれたために、もっと話し合いが必要になったのが今回です。
最近起こったこと
4月に転職したばかりの相方も、4月の2週目からはリモートワークになり、外に出ないので、自炊したご飯をふたりで食べようと思えば食べられる機会が増えました。
私は「自炊ご飯をふたりで食べられるー!」と思って、最初は2人分の健康ご飯を喜んでずっと作っていたのですが…。
だんだんと私のストレスが溜まっていくことに気づきました。
私のエゴなんですけど。
相方はいつも通り、好きなものを好きなだけ食べたら残す
相方の行動は今までと変わらないんですよね。
けれど、「残す」という行為の発生が、週末のうちの7割の自炊の一部でしかなかったのが、毎日自炊になることで頻度が増え、私のストレスが増えていることに気づきました。
残した場合は、もったいない病のために翌日私が食べることが多いのですが、やっぱり作ったのを残されるのはさみしい。
また、翌日のご飯について、私は残り物があるけど、相方は何もないので、相方のためだけに新しいものを作る。けれど、本当は私も新しく作ったものを食べたいなーと。
「俺の分は作らなくていいよ」と言われたけれど、そうではない
自炊が増えたことでストレスになっている旨を伝えると、相方は本当に私のストレスを減らすことを考えて、「俺の分は作らなくていいよ」と言ってくれたのですが、それでも私はもやもやしていて。
残すものは基本的に野菜。
相方が今まで外食していたときに、ラーメンばかり食べていたのを知っていたことを考えると、相方の不健康な生活を目の当たりにすることだけでなく、さらに、本当は健康の機会がすぐそこにあるのにそれでも不健康なものを選択しているのを見るのがストレスなんだと感じました。
私は、本当は健康なものを食べてくれたらなぁと思ってしまっているので。
しかし、それは相方の欲望には反しているので、私のエゴでしかない。
お腹いっぱいなのに無理に食べてほしいわけではないし、そのとき食べたいと思うことに素直であるのは変わらないでほしい。「うーむ…」と、私のストレスと悩みが増していく状態でした。
そのため、「相方も好んで残さずに食べられる野菜レシピ探す」という課題の優先順位を上げて、何度も話をしました。
試行錯誤と、辿り着いた落としどころ
やったことは大きく2つです。
- 嫌いなものリストをブレイクダウン
- 残す理由の言語化
嫌いなものリストのブレイクダウン
相方は好き嫌いが多くて私が覚えきれず、嫌いなものリストを前から少しずつ作成していたのですが、引き続き、何か新たな嫌いなものが出るたびに随時更新をしつつ、もっと細かく記載することに。
ただ、嫌いな素材をリスト化して全て使わないようにすると、作れるレシピがかなり制限されてしまうので、レシピ次第で食べられる可能性を探れるレベルなのかを知るために、嫌い度合いも3段階に分けてリストに残すようにしました。
- 絶対食べられない
- 飲み込めるけど味わえないもの
- 好んでは食べないもの
残す理由を言語化してらう
これ、相方にとっては全く言語化の必要性を感じもしなかったことだと思うのですが。
上記のリストを元にレシピを試しながら、嫌いなものリストにはあがっていないけれど残したときは、本来リストに入れるべき素材なのか、何か異なる理由があるのか、言語化してもらいました。そして、リストへの記載をもっと細かくしたり(素材名だけでなく、「○○な(素材)」等)、組み合わせによる影響の理解にも努めました。
例えば、
- その日の食卓に、好きなレシピがあるときは、好きなものばかりをおかわりしてしまうので、それだけでお腹がいっぱいになって、嫌いでなくても残してしまう
- 同じ素材でも、調理方法によって、好きなものと嫌いなものがある
などなど。
これを繰り返し、結論として、相方にとって大事なことは
「想像と実際にズレがないこと」
だと分かりました。
「味」もそうですが、特に「食感」について。
予測した食感と実際の食感が同じであることが最も大事と判明
私にとっては大発見だったのが、食べる素材や味以上に、「期待した食感と実際の食感のズレがないこと」を重視しているということ。さらに、食べてみたら美味しいと感じたとしても、見た目で予想した食感と実際の食感が異なると、2口目以降は食べなくなるということ。
私の場合、確かに見た目と食感に相違があると、1口目は違和感を感じるのですが、それで美味しいと分かれば、その後は気にせず食べられるようになるんですよね。
違いって面白い。
※ どうでもよいんですが、これ、私の大学時代の研究テーマ(視覚で予測した触感を含めた触感のデザインに向けた、視覚予測の触感評価手法について)に近くて、「触感」と「食感」で漢字違いだけど興味深い…!
そのため、基本的に生で食べられる野菜は生が一番となりました。
生だと、食感が大きく予想と異なることはないので、素材そのものが嫌いな場合を除くと、嫌だと感じることもなく食べるとのことでした。他に、自分の中に食感の予想がある、よく聞くレシピ名の好きなものの場合も食べるけれど、それは例外とのこと。
(例えば、キャベツだと、シャキシャキの千切りキャベツは普通に食べるが、みそ汁のキャベツやゆでキャベツのような中途半端な食感は嫌い。ただし、モツ鍋のトロトロキャベツは好きという例外がある。)
また、他の食感が混ざるとそれも嫌なことがあるので、素材はなるべく混ぜずに分けて出すのがよいということ。
野菜があまり好きでないなら、調理法や他の素材との混ぜ合わせによって嫌いなものをわからなくしてみたり、いろんな味を試してみようと思っていた私にとって、生なら食べるという新鮮な結論…!
今、実践していること
上記の結論を受けて、下記を実践するということで、現状落ち着きました。
- 私は相方には生野菜サラダを準備する。素材は全て重ねることなくバラバラに出す
- 他、食べるかどうか怪しいレシピを新たに試す際は、事前に相方に確認してから、1人分を作るか2人分を作るかを決める(そのときの気分でも食べるかどうかが変わるため)
- 上記の結果、相方の食事が足りない場合は、相方が自分でなんとかする
これにより、「野菜も食べてもらいたい」「新しいレシピを作りたい」という私の理想を満たし、かつ、相方が残してストレスになるリスクを減らすことができるようになりました。
ふぅ。
感想とまとめ
自分の理想の追求のためだったけど、「これなら食べるだろうし、栄養満点!」と思って作ったものが残るのを見続けるのは、なかなかの大変さでした。さっさと自分の分だけを作るようにしていれば、この苦しみはなくて済んだのですが、やっぱり健康的なものを食べてほしくて。
相方としては、私が相方のご飯を作らないようにすれば十分満足する状態だったので、毎日言語化を試みるという行為は、私の理想に近づけるための作業に協力してくれた部分で、非常に感謝しています。そもそも「お互いの理想をまず言語化しよう」と言ってくれたのも相方。ありがたや。
今回、相方は何も変わらないのに、周りの状況の変化で自分のストレスの大きさは変わってくることを改めて感じました。「本能に忠実」なところは相方の好きなところのはずなのに、裏返すとストレスにもなり得る。でも、やっぱり好きなところだから尊重したい。
また、複数ある理想の要素から何かをスパッと諦める解決方法も、こうやって苦労しながら落としどころを探す解決方法もあるよな〜と思ったので、言葉にしてみました。
すぐに言語化できなかったとしても、お互いにもやもやを放置しない状態は続けていきたい。
相方は日頃から、私がストレスを溜めずにすぐ伝えることをありがたがってくれて、少し溜めてしまっているときに寂しがってくれるから、すぐに伝えて解決方法を探れているなと思っています。感謝!!
また、これもしばらく続けていたら、再度変化によって気になることが出てくると思うので、今後も二人の理想を大事にしながら随時解決策を探っていければいいな。
同じような状況で「うちはこうやってるよ!」等あれば、ぜひ聞かせていただけると嬉しいです!
余談ですが、私が栄養や健康についての知識をいろいろと話し続けているからか、最近は、相方も「○○ってなんで?」「○○と○○ってどっちがましなの?」と少し興味を持ってくれているように感じて、とても嬉しく感じています。へへへ。
相方にその嬉しさ伝えたら、「気分。聞きたいから聞いてるだけだから、(価値観の変化を)期待しないで。」と言われましたが、それでも嬉しいな。
※ 追記:
なんか相方が「食べ物を残す悪い人」みたいなイメージになるかもと思い、ちょっと補足なのですが。
私は、相方の「残す」という行為について、「確かに、嫌なものを我慢して食べたり、出たものを全て食べたりするのではなく、(特にこの歳になって)嫌なものは無理をせず、お腹いっぱいになったら残した方が、精神的にも身体的にも健康だよな」と思わされています。しかも、食べてみて判断するって、普段から食べ物をすごく味わって食べているということだと思うんです。
私は、おそらく頭で考えて、もしくは、そうするのが癖になって、「栄養をとろう」「お皿についだものは全て食べよう」となってしまうのですが、相方は本当に自分の心に素直で、かつ、マインドフルなんだろうなと。頭じゃなくて心で動くって、私は大事だと思っているので、相方を尊敬している点でもあります(論理的、合理的でもあるので、本当にバランスが絶妙な人です)。
食べ物を無駄にはしたくないので、今後も簡単に捨てるようなことはしないですが、お皿に出たものを全て食べている私は、まずは「お腹いっぱいだからここでやめよう」「まだお腹空いてるからもう少し食べよう」という自分の満腹ラインにもっと向き合おうと思っているところです。